考えすぎか?

 【リアル忠臣蔵】 三崎和雄 秋山成勲に激勝&説教 TheGreatestSports
 …ダメだ、気になって仕方ない。この件のどこら辺が「リアル忠臣蔵」なんだろ?世間一般での忠臣蔵のイメージが俺のそれと乖離してるのかしら?
 世間の人って忠臣蔵についてどの程度知っているんでしょうかね?吉良に嫌がらせされた浅野某が松の廊下で切りつけ、その罪で切腹、吉良はお咎め無し。残された家臣が数年後の12月に吉良邸に討ち入って見事仇を取るも全員切腹申し付けられる、ってくらいでしょうか。わかりやすいテーマとしては「忠義」「仇討ち」という感じ?まぁ色々調べてみるとそう単純に片付けられる話じゃなくて、様々な憶測も飛び交う深遠なアレなんですけど。
 今回秋山(ヌル)を倒したのが桜庭の弟子とかそういうのだったらわかりやすいですね。忠臣蔵に喩えるのもわかります。でも三崎クンはGRABAKAの人。桜庭との縁はさかのぼりまくってUWFまでいかなきゃダメですし、その頃デビューしてないですし。個人的に桜庭に師事してたりするのかしら?
 それとももっと別のアレで、「韓国人に日本人がやられたのでその仇討ち」*1という意味なんでしょうか?ちょっとピンときませんね。ガイジンVS日本人でそのガイジンがかつて別の日本人を倒してたなんて話は掃いて捨てるほどありますし。「卑怯な手段」というところが吉良のイメージを彷彿させるんでしょうか?
 それともアレでしょうか、卑怯な手段をやった秋山と、それをうやむやにすることで「総合格闘技」の威信を汚してしまった上層部への「総合格闘家」としての復讐、ということなんでしょうか。段々話が抽象的になってきますが、こんな風にでもこじつけないと納得いかんのですよ。それくらい自分の中の忠臣蔵のイメージと本件はかけ離れているので。
 もしくは仇討ち云々は置いといて、単に「過去にあくどい事して勝ったヒールVS大義名分持ってるベビーフェイス」という構図を忠臣蔵に喩えたに過ぎないんでしょうか?年末という共通項もあるにはありますけど。そうだとしたら随分乱暴な話です。
 つ〜か無理に物知りぶって喩えてるだけじゃね?とか思ってしまったり。年末・格闘技・仇討ちっていうんだったらロッキー4に喩えるのが筋ってもんでしょ。
 もしも筆者が歴史に造詣が深くて、本件について忠臣蔵との共通点を見出してると考えるなら…こうでしょうか。秋山=吉良の姑息な手により名誉を傷つけられた上敗者のレッテルを貼られてしまった桜庭=浅野、これは格闘家として死にも等しい屈辱と言える。然るにK-1フロント=幕府は秋山に十分な罰を与えたとは言えず、桜庭の名誉回復に奔走するわけでもなかった。この一幕で「総合格闘技」の威信・誇りを傷つけられたと感じた格闘家達は秋山を討つことで桜庭の仇を取ると共に、地に堕ちた総格の意地を世に示し、K-1に一泡吹かせようと画策する。しかしK-1サイドは秋山を保護し、仇討ちさせぬよう日本人相手のマッチメイクを組みたがらなかった。だが遂に年の暮れ、総合格闘家達は仇討ちのチャンスを得る。三崎は何はなくとも仇を討つのが目的であり、それさえ為せば反則だろうと試合後のマイクが苛烈だろうと構わなかった*2。見事仇討ちを果たした三崎。K-1はそれを天晴れと思うも、反則や問題視されるマイクを見過ごしてはK-1の威信に関わると判断、厳しい処断を三崎に下す。大望を果たした三崎は甘んじてそれを受け入れるのだった。しかし罰を受けたとはいえその行いは人々の心を打ち、民衆の間でこの壮大な仇討ち劇は語り継がれていくのであった…。
 これなら辛うじて忠臣蔵です俺的に。大事なのは法を犯してでも仇を討つという心意気であり、事を為した後は法に従い裁きを受けるという潔さ。ここら辺が忠臣蔵の醍醐味かと俺なんかは思います。さらに突っ込んでいけば途中で生きることへの未練やらしがらみやらで脱落していく人達のドラマも見応えはあるんですが、ここではまぁ置いときましょう。つまり三崎クンが反則上等で秋山をアレした、という解釈をしないと本件を忠臣蔵扱いするには無理がある…と。この試合に限らず年末のアレコレは全く見てないのでその解釈については何も言いませんが。う〜ん…。

*1:こう書くと語弊があると思いますが

*2:これも語弊があるだろうがこう考えないと「忠臣蔵」にならんので…