ケツ論


 世の中にはいいケツとイイケツがある。いいケツとは越中であり、イイケツとはRIKISHIである。

−ひいろ−



 いいケツとは即ち剛のケツである。強さの象徴であり、力の具現である。長い月日を経て鍛え上げられたそれは人生の縮図であり、それを受けるということは相手の人生そのものを受けるのと同義である。強者には立ち向かい、後進に対しては厳しく打ち据えるその一撃は時には男の意地を背負い、時には父性の発露となる。サムライ・シローの人生全てを乗せたそのケツの強さ、重さは推して知るべし。
 イイケツとは即ち柔のケツである。優しさの象徴にして大いなる慈愛。全てを弾き返すのではなく、受け流すのでもなく、柔らかく包み込むそのケツは、受けた相手に恐怖よりもむしろあたたかく、安心すら感じさせるという。それは人間としての度量の広さ、プロレスと言うものの奥深さをあらわすと同時に、人が誰しも持つ母性の具現化なのである。RIKISHIの放つケツが観る者に凄惨さ、血生臭さではなく、どこか安らぎを与えるのはある意味当然と言えよう。
 …書いてて段々わけわからなくなってきました(笑)。自分のケツがでかいのは何故かしらんとか考えてるうちに色々想いをめぐらせる事になったわけで。要は俺が目指すのはイイケツでなくいいケツ、柔ではなく剛なのです。…今はイイケツっぽいけど。