ロック上等

 しおのエントリ見てたらふと「ロックの定義とは何ぞや?」なんてことを考えてしまいました。
 ロック (音楽) Wikipedia
 Wikiの説明からも明らかなように、いわゆるロックの定義はかなり広いものでして、日本人的な「ロックっぽい」という奴はどっちかっていうと「ハードロック」に細分されるものなのかな、と。まぁ一口に「ロックっぽい」と言っても個人個人捉え方が違うのも事実。邦楽ロックに限って言うなら、俺的にはロックと言えば氷室と筋少ですかね。
 ロックを語る時によく挙げられるのが「反体制」という言葉。既存の価値観、概念から脱却した新たなカタチを打ち出すのがロックである、と考えるなら、BOOWY、そして氷室はまさにロックの体現者と言えます。わかりやすく言うなら「オメェら、そんな古臭い価値観にいつまで拘ってるんだ?俺が本当のカッコよさって奴を教えてやるぜ!」みたいな。旧来より根付いている価値観に囚われず、自分がカッコいいと思うことをひたすら追求するその一本芯の通った姿勢、現状に満足せず常に新しい何かを模索し続けるその音楽性…。キング・オブ・ロックの名は氷室にこそ相応しいのであります。
 氷室が言うなれば「ロッカーとしてのロックの象徴」であるとするなら、筋少は「ロックを目指した若者達の象徴」であると思います。ロックン・ロールが日本に上陸した時、多くの若者達がロックに憧れ、そこに新しい何かを求めて飛び込んでいきました。「俺は今は何も出来ないボンクラだ!でもロックやったら何かが掴めるかも知れねぇ!」と。そしてその中の一握りがロッカーとして大成し、ロックの体現者になりえましたが、多くの若者達は思うようにいかずに挫折していきました。「やっぱ俺には何も出来ないのか?ダメな奴はダメなのか?イヤそんなはずはねぇ!頑張れば何とかなるさ!…でもやっぱダメだ〜!」…やり場のない怒り、焦燥感、失望…。自分達には無理だと納得はしても、もはや音楽以外何も出来ない彼らはその悔しさ、悲しみ、衝動を歌にぶつけるしかありませんでした。筋少の曲はまさにその衝動のカタマリです。現実の厳しさにぶつかり、世間のイメージと自分達の方向性の違いのギャップに悩み、苦しんでいたオーケンはその全てを歌にのせ、これ以上ない「生の声」を歌いあげました。抱えている悩みは異なれど、そのもがき苦しむ様に、ロックを目指す者のみならず多くの若者達が共感し、心揺さぶられたのです。コミックバンドと定義されがちな第一印象と、オーケンの独特の世界観で形成される詩のセカイによって誤解されがちですが、その中身は「ロックによってセカイを変えることができるかも知れない」と夢見た者達の、狂おしいまでの「青年の主張」なのであります。
 …と長々と書きなぐってしまいましたが、そんなわけでお気に入りの2大ロッカーを挙げてもこんなに感じ方が違うんですよね、「崇拝」と「共感」ですし…。(オーケンはある意味崇拝してますけど)音楽については素人なので、ロックについて語ろうとするとどうもこんな感じになってしまいます(笑)。
 他に好きなロッカーと言えば、最近ではサンボマスターですかね。しおのオススメで聴く機会があったんですけど、ロック大好き少年がそのまままっすぐ生き続けてオッサンになったような感じでイイと思います。後は洋楽になってしまうので、それはまた別の機会に。