サッカーとブーイング

 今日の試合に限ったことではないのですが、サッカーを観戦するようになって、そのブーイングの頻度の多さに驚いています。相手の選手紹介でブー、相手チームにボールが渡ったらブー、リスタートが遅れたりするとブー、何でもかんでもブーブーブー…これって込められた意味は違えども、結果的に君が代にブーイングしたどっかの腐れ野郎」と同じことをしているように感じるのは俺だけでしょうか?
 そもそもサッカーにおけるブーイングって何の意味があるんでしょうか?それによって味方のチームの士気が上がったりするんですか?本分である応援のためではなく、単に個人的な鬱憤の解消や、面白半分に行われている印象が強いです。普通にスポーツ観戦しに来ているただの観客ならまだしも、選手を応援するために馳せ参じているゴール裏の面子までもが意味もないブーイングで大合唱している様は見ていて気持ちのいいものではありませんでした。feverさんも言っていたように、野次ってる暇があるならその分応援に体力を使うべきだったと思います。それに、俺としてもブーイング大合唱よりもゴール入った時に皆で馬鹿騒ぎしたり、サポソン一生懸命歌っているほうがずっと気持ちいいですから。
 「お前の大好きなプロレスでもブーイングはあるじゃないか」と思う方もいるかもしれませんが、確かにプロレスにもブーイングというものは存在します。ですがその意味合いは大きく異なり、プロレスにおいてはブーイングも歓声の一種なのです。ヒール(悪役)はブーイングを受けることで「俺は今悪役として輝いているんだ」という実感を得ることができ、観客もいい悪役っぷりを見せるヒールに対して歓声として、あるいは本心から(観客の怒りを引き出すのも立派なヒールの証拠)ブーイングを送っているのです。つまりプロレスにおけるブーイングは、熱い試合を作り出すための立派な要素というわけです。サッカーのブーイングに果たしてどの程度の意味が込められているというのでしょう?
 今日の試合でのブーイング…これはある程度はしょうがないことかもしれません。勇蔵はともかく久保に対してもレッドカードを提示され、せっかくのいい試合がぶち壊しにされたという怒りのはけ口としてあれほどのブーイングが起きたのでしょうから。でもその怒りは決して相手チームである神戸に向けられるべきものではありません。八つ当たりで神戸にブーイングする余裕があるのだったら、窮地に陥っているマリノスに声援を送る方がよほど意味のあることだと思います。
 「所詮貴様は似非マリノスファンだからそんな綺麗ごと並べられるんだ!」とか言われたらなるほどその通りかもしれません。感情的にならなかった分冷静に状況を見ることができたというのは確かに事実でしょうし。でも似非ファンである俺ですら必死こいて応援して声ガラガラになってるってのに、応援よりもブーイングに御執心で試合終わってからもブーイングしまくる元気は残ってる人は真のファンと言えるんでしょうか?
 色々とクソ生意気なことを書いてしまいましたが、「似非マリノスファンの戯言」と読み流していただいて結構です。長駄文失礼しました。